stella violin

聴く

 

『静寂なほど 人生は美しい』

 

最近読んだ、工藤咲良さんという方の本です。

先天性弱視であり、幼少の頃から音楽を学んで

音楽療法士でライアーというハープのような弦楽器の演奏家の方だそうですが、

文章がとても美しく本当に音楽のようでした。

 

その中で「聞こえない音」について書かれています。

 

「音がない場所は、決して空っぽではありません。

人の耳には聞こえない、豊かな響きで、

満たされている空間です。」

 

「空や海、森や草原、田畑や街を、

くまなく満たしている聞こえない音楽も、

私たち自身の心と体に満ちる聞こえない音楽も、

そして、あなたと私、人間と人間の間に響く聞こえない音楽も、

聞こえる音楽と同じように、

刻一刻と、色合いを変え、姿を変えながら、

移り変わって行きます。」

 

これまで私も自分で漠然と感じていたその感覚を

聞こえない音楽、と表現されていてとても腑に落ちたのです。

 

ある人が発する響きに耳を澄ませる。

話の内容ではなく

話し方、声の高さや大きさ、声色、語る速さなどを聴く。

ここまでが、聞こえる音。

 

そこで良いとか悪いとか、好き嫌いを評価せずにそのまま受け入れて、

もうしばらくの間、

自分があたりの空気と一体になったつもりで、耳をすまし続ける。

 

ここから先が聞こえない音。

「じっと耳を澄ましていると、まるで金脈に突き当たるように、

話しているその人の本来の姿、

その人らしさと出会う瞬間がおとずれます。」

 

「慣れてくると、初めて誰かと会ったとき、

一瞬でその人の『響き』を聞き取れるようになります」

 

弱視だった工藤さんは、元々これができたそうです。

相手がどのような人か知るための方法だったんですね。

 

このように生きてきた工藤さんだからこその視点で

音楽とは何か、ということが書かれています。

 

音楽は、曲の作りやテクニック、その人の技量など

それだけを楽しみ評価するだけではなく、その奥にある

音から受ける印象、

フレーズとフレーズの間や休符の余韻の中から感じられるもの、

そして、それを演奏する人そのものの「響き」

そういうものを感じ取って聴くことに意味があるのだと思います。

 

はっきり視覚的にものが見える私たちは、

やはり感覚的にもパッと見えた一瞬のことで

良し悪しや好き嫌いを判断しがちなのかもしれません。

でも工藤さんが書かれているように「全身を耳にして聴く」感覚で感じると

もっとその先にある大事なものを受け取ることがあるのだと思います。

目くらまし、はあっても、“耳くらまし” はないと表現されていました。

 

音楽をそのように「聴く」ことと

相手の人の存在そのものを「聴く」ことは同じ感覚であり

それは慈悲につながるのだと思います。

以前書いた導師の方のお話と同じだなと思いました。

 

生きていることを大切にしたい、相手を大切にしたい

と思ったらとても必要なことです。

 

この本には他にももっと触れてみたいことが書かれているので

またブログでも取り上げてみたいと思います。

ご興味のある方はぜひ読んでみてくださいね。

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