stella violin

内側を見つめる

20代の頃、数年ヨガを続けていた時期があったのですが、
子どもが生まれてからバタバタとしてしまい、
5年以上やらないでしまっていた。

ヨガを続けていたのも、
上海で素敵な二人の先生に出会ったのがきっかけでした。
日本へ帰国後、
その先生に習えなくなってしまったのが本当に残念だったし
やめてしまった理由の一つでもあったと思うのだけど、
コロナ禍でオンラインレッスンが普及して
なんとその上海の時の、しほこ先生のレッスンが受けられることに!!
今は九州にいらっしゃいます。

それでも始めるまでには何故か勇気が要り(からだ硬くなっちゃったし、とか)
思ってたより遅くなってしまったのだけど、
先週からまた始めました!

久々にやったら本当〜〜に気持ちがよくて。

元々呼吸が浅いのは自覚しているのだけど、
ヨガ終わった後に「息するってこんなに気持ち良いのか!」となります。

そして先生は、からだに対しても心に対しても、
本当に知識が深くてとても勉強になってとっても面白い。

ヨガはただ単にダイエット目的とか体だけを鍛える、とかとは違って、
自分の呼吸に意識を向けて、
“自分で自分の”体と心とマインドを見つめていく作業。

動き方やポーズにしか気がいかなければ何の意味もない。
しほこ先生はそのポーズをする目的や効果をひとつずつ丁寧に教えてくれるので
ちゃんと納得して自分の中に落とし込むことができます。

ヨガと、音楽を奏でることは似ている。

ヨガがどれだけポーズが美しいかが重要ではないように、
音楽も、形だけできても意味を持たない。
命が吹き込まれない。
特に最初にクラシックを弾くとき、大体みんな形だけなんとかしようとする。
先生がこう言ったから、先生にこう教わったから、
その弾き方は合ってる、合ってない、のような話になります。

で、そこでつまらなくなって、やっぱりクラシックつまんないから辞める、
というようになっていきがちなのだと思う。

よく聞く話、
昔ピアノをやっていて…バイオリンをやっていて…っていう人の話のオチは大体、
先生が嫌いでやめたか、つまらなくてやめた、どっちか。
そういう人はその話するとき大体目から光がなくなってる…
(そして私は、あ〜、そうなんですねえ…と苦笑いするしかなくなる笑)

中学ぐらいからギターやってたっていう人の話は、
例え今はやってなくても、その頃を思い出してどこか自慢げか、
目がキラキラしてる。
今も趣味でバンドやってて、って言う人はもうこちらがちょっと引くぐらい
ギラギラしてて本当楽しそうです。

それは
始めるきっかけが大きいのではないかと思っている。

クラシックって、最初から好きで始める人が少なくて、
お母さんにやらされた、とか
近所の子が通ってたからなんとなく、というきっかけがとっても多いように思う。
一方その他のジャンルは、自分の意思で始める人の方が多いんじゃないかな。

何が言いたいかと言うと、
始める時点で音楽に自分の意思を持ってるかどうか。

しほこ先生が先週のレッスン後に動画を送ってくれました。
先週見れないでしまった私は、今日見てみて涙が出てしまい、
その動画は
オックスフォード大学の講演で禅の導師がお話してるんだけど、
その言葉一つ一つが優しくて、とても心が温かくなった。

全然説教じみてなくて、
最初から最後までとても優しい言葉でお話してくれているので、
よかったら見てみてください!

花を見つめるとき、
花は花でないものから成り立っていることがわかる、と。
花が育つために雨を降らせる雲が見える。
太陽の光や、鉱物、大地の存在が見えると。

これは人の心について話しているお話だけど、
それは音楽にも言えるなあと思いました。

人は音楽を聴く時に、ただその奏法を見てるのではなく、
音に込められる景色を、色を、思いを、演奏者の内側を聴いている。

とても難しいことではあるけど、
子どもたちへ伝える時も、そこはいつも意識して伝えるようにしている。

子どもも、本当に自分が好きで好きでたまらなく始めたのではない限り、
ただただ、先生の弾き方を真似をするだけが目的になってしまったら
つまらないに決まってる。
自分自身で楽しい!とか何かやりがいを感じた時に初めて
音楽に命が吹き込まれる。

人生経験が少ない子どもだって
その子が奏でる音には、少なくても毎日頑張ってる努力、
きれいな音を出した時に家族に、先生に、お友達に褒めてもらえる喜び、
そういうものが入ってくる。
そしてできるならそこに、
ここのフレーズには今までに見たきれいな景色を思い浮かべようか、
とか、感じたことがある波のリズムで弾いてみようか、とか、
うれしかった気持ちを乗せてみようかとか、言ってみる。

感動するのはそもそもその曲自体が美しい、ということもあるけど、
私はそこには更に、奏でる人の持っている全てが入っていると思いたい。

だから、そういうことを一回一回伝えていきたい、と思ってる。

そこが間違ってる、今のじゃダメもっと良い音を!
ばかり言われたら子どもだって疲弊してしまう。
そういう事ばかり言われるクラシックはつまらない、となってしまう。

その先にある大事なものを表現するために、
この弾き方で一生懸命練習するんだよ、とわかってもらう。

クラシックにだってロックにだってジャズにだって、
そこにはそれを演奏する人の熱と意思が込められていたら、
それはもう本当に素晴らしいものになる。
どのジャンルがイケてて、このジャンルはダサい、なんて話にもならないと思う。
これはクラシックに限らずだけど、
みんな音楽を聴く耳ができたり、ある程度演奏できるようになると、
他人の音楽の評価をし始める。

だから、演奏する側だけじゃなくて、
聴く方も自分と相手の内側を見つめるということが、
音楽に良い意味を持たせるためには
とても大切なことだと思います。

私もそんなくだらない評価をしてしまったりすることが少なからずあります。

禅の導師のお話の通り、
物事を見る時に、その内側を知ることで慈悲の心を持ち、
人にも優しくすることができるようになると思う。

そしてそこに込める思いや経験が報われる。
悲しみも苦しみもどん底にいた経験も、
音楽を通し同じように苦しんでいる人の救いになるかもしれないし、
楽しさや歓びはますます誰かの気持ちを前に向かわせる。
そしてそれを演奏する人自身がいちばん救われるのだと思う。

音楽は評価するためにあるのではなく、
お互いの内側を知り、認め合うためにあるといいな、と思ってる。

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